その「週刊こどもニュース」の生放送終了後。真っ先に口を開いたのは女優の柴田理恵だった。

「ちょっと茉侑、あんた池上お父さんがせっかく話をふっているのに、あの応え方はないんじゃないの? 『べつに』って何よ。まるで私たちはニュースに興味がありません、て言っているようなもんじゃないの。この番組はこどもにニュースを見てもらう番組なのよ。あんた自分の立場が全然わかってないわね。あとでちょっと来なさい。話がある」
放送が終わっても完全にお母さんの役になりきっていた。あたかも母親がこどもを育てるように、柴田は池上家の母親として三人のこどもたちを育てようとしていた。
石川茉侑は口を尖らせて反論した。
「だって私、本当にべつになんにも感じなかったんだもん。いいじゃん?」

たちまち柴田の形相が変わるのを感じた杉江は割って入った。
「柴田さん、僕がいけなかったんです。台本で何も指示せず、こどもたちに何でも好きなことを思ったまましゃべりなさい、と言ったのは僕なんですから。茉侑はそのとおりにしただけですよ」
中村哲志プロデューサーは、あくまでこども目線の番組にしたいという方針だったので、茉侑の発言をむしろ微笑ましく感じているようだった。
池上彰はそのときは何も言わず、ただ笑っていたが、僕にはこの人は何か別のことを考えている、と思えて仕方がなかった。確かな感触を得て何かに気づき、何かもっと先のことを考えているのだ。それが何であるかは解らない。だが何かを考えている。その意味がわかったのは番組が始まって数ヶ月たってからであった。これは次回以降に書くことにする。

こうして始まった週刊こどもニュースの池上一家だったが、回を重ねるごとにこどもたちはみるみる成長していった。長男役の武藤啓太は最初のうち全く何もしゃべらなかった。番組中あまりにも無言なので、ディレクターたちから「啓太もせめて、うん、とか、すう、とか言えよ」と指導されたが、いっこうにコメントする気配は見られなかった。もともと無口でシャイなタイプの男の子だった。なんでそんな啓太をあえて長男役に抜擢したのか、中村プロデューサーの真意をはかりかねる者さえいた。実は、真っ白で柔軟な子がいい、というのが中村の意図だった。子役というのはたいてい何かしら劇団で仕込まれたクセのようなものを持っている。それを嫌った中村は最終的に啓太を選んだのだ。長女役の村山真夏はとにかく明るく無邪気で、かつ頭の回転が速かった。真夏のおかげで番組は明るく、かつスムースに進んだ。そんな真夏でさえ「へー、そうなんだ!」「すごーい!」を繰り返すばかりであった。

彼ら四人の家族を「先生」として、池上彰も回を重ねるごとにその伝える能力に磨きをかけていった。
「え?! そんなことも知らないの?」
と池上が唖然とする場面が、当初リハーサルではしばしば見られた。だが池上は喉まで出かかっているその言葉を、ぐっと飲み込むようになった。その言葉を発するかわりに池上はあえてこども目線まで降り、
「どういうところがわからないのかな?」
と優しく問いかけた。逆取材である。こどもたちがキョトンとした表情になった時、池上は必ずこの逆取材を行うようになっていた。
池上の問いかける言葉は優しかったが、このとき池上の頭はフル回転で分析している。こどもたちがどこまで理解していて、どこに引っかかっているのか。いったい何がニュースを解りにくくしているのか。
それらを瞬時にして分析し、次の球を投げるべきキャッチャー・ミットの位置を見つけ出す。
この地道な作業の積み重ねこそが池上彰の隠された努力の神髄であったと杉江は考えている。

情報の送り手である池上をピッチャーに例えるなら、情報の受け手であるこどもたちはキャッチャーといえよう。そして投球を評価するのはキャッチャーである。普通の解説番組のようにキャッチャーが大人であればキャッチャー・ミットの位置はほぼ安定しているので、ピッチャーとしては楽にボールを投げられる。だがこどもニュースの場合は違った。キャッチャー・ミットの位置はころころ変わるし、しばしばとんでもない所にあったりする。時には視界の外であったりもする。キャッチャー・ミットが見えない。そんな状況の中でもピッチャーは正確にボールを投げ、キャッチャー・ミットの中に納めなければならない。
池上流の「伝える能力」誕生の秘密は、実は「聞き手のキャッチャー・ミットを見つける能力」として開発されたものだと言えよう。

一方、肝心の視聴率は回を重ねてもいっこうに伸びなかった。
3ヶ月後、視聴率をめぐる会議が開かれ、その場で池上は中村と始めて対立した。
(つづく)

>>(第16回)視聴率をめぐって

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