(第14回)正直者

1994年4月10日。NHK内部でも賛否両論が交錯していた全く新しい試みである番組「週刊こどもニュース」。

その第一回めの生放送ともなれば嫌でも注目が集まる。とりわけ局内の上層部は、このプロジェクトが成功するのか失敗するのか見極めようと固唾をのんで見守っていた。果たしてこどもにニュースを理解させられるのか? そもそもこどもたちにニュースに興味を持たせることなんて可能なのか?
局内上層部は、まずは池上彰とこども番組部とやらのお手並み拝見とばかりに、それぞれの立場から初回の放送を注視していた。

もちろんその視線を我々プロジェクトチームも重圧として感じていた。だからこそ用意周到に準備してきたのだ。そのための4ヶ月であり、通常なら一週間で作り上げなくてはいけない生放送を、初回だけは2週間以上かけて入念に練り上げた。「ほら、こどもだってニュースに興味を持つでしょ!」と胸を張って内外にアピールするために、ただただそのために苦労をいとわなかったと言っても過言ではない。企画コーナーも、「今週のわからん」のコーナーもまとまり、その週のニュースサマリーも選び抜いて原稿も完成し、後は生本番である日曜日の朝を待つばかりという段階までこぎ着けた金曜日に、臨時ニュースが入った。

ニュースセンターから細川首相辞意発表の第一報が飛び込んできたのだ。土曜日の最終リハーサルに向けて準備が整ったことを再度確認していたプロジェクトルームが、一転して戦場と化した。
「ニュースサマリー原稿差し替え」「冒頭のトップニュースに」「これから取材だ」怒号が飛び交った。
池上彰は一瞬考えてから冷静に言った。
「大丈夫、今からでも間に合う。まずは街頭インタビューをしましょう」
中村哲志プロデューサーが付け加えた。
「それもこどもの。リアルなこどものリアクションを拾いたい」

「僕が行きます!」「僕も!」杉江と柳原浩が名乗り出て、二人はロケバスの駐車場へと走った。その間に木浦デスクが電話でカメラクルーを手配した。緊急用にスタンバイしていたカメラクルーは、既に撮影機材をロケバスに積み込んでいた。二人のディレクターとカメラクルーが乗り込むと、ロケバスはすぐにNHKの構内を走り出た。
「で、どこに行きます?」「とりあえずこどものいそうな所ですね」間もなく放課後になる時刻だった。学校放送番組部出身の柳原のアイデアで、塾と公園を手分けして取材しつつ、手当たり次第にマイクを向けインタビューして回った。リアクションとしてあまりいいこどものインタビューは撮れなかったが、それなりに主婦など町の声が拾えた段階で、二人は池上彰の待つプロジェクトルームへと取材テープを持ち帰った。

編集機の前で待ち構えていた池上彰は、すぐさま取材テープを試写するとこう言った。
「いいでしょう。これを冒頭に使いましょう。こどもなら我々のスタジオには3人もいるじゃないですか。生放送ですよ。うちのこどもたちから生のリアクションを引き出せばいいんですよ」

こうしてにわかに構成が変わってしまった「週刊こどもニュース」の初回放送だったが、4月10日の日曜日朝8時半という時刻は自動的にやってくる。そしてその時刻がくれば自動的にスタジオが全国の画面に映し出される。それが生放送というものだ。一秒たりとも待ってくれない。収録して放送する番組を作ることが多かった我々番組制作局のディレクターたちは生放送に緊張していたが、池上彰はまったく緊張の様子を見せなかった。キャスター経験を積んできた池上彰は常に生放送と向かい合っているせいか、さすがに度胸が据わっているなあと思い知らされた。一番緊張していたのは柴田理恵だった。

オンエアー開始。「まずはおととい入ってきたこのニュースから」と細川首相辞任のニュースを紹介。それを受けて「いやあ、あまり突然だったのでビックリしたわ」とお母さん役の柴田理恵がリアクション。ここまでは無難な滑り出しで、副調整室で見守っていた中村哲志プロデューサーもほっと胸を撫で下ろしたように見えた。
この後、お父さん役の池上彰が3人のこどもたちに順番に感想を聞く段取りになっている。
「さあ、我が家のこどもたちはどう感じたかな?」
一番年少の石川茉侑(小4)の顔が大写しになった。
「茉侑はこのニュースを聞いてどう思った?」との池上お父さんの問いかけに、石川茉侑は思いっきりしらけた表情でひとこと言い放った。

「べつに」

副調整室が一瞬凍り付いた。終わった、と杉江は思った。こどもにもニュースに興味を持たせよう、というこの番組のコンセプトが根底から音を立てて崩れる光景が目の前を覆った瞬間だった。
(つづく)

>>(第15回)試練の日々

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