(最終回)僕はなぜ僕なのか?

これまでニュース解説者としての池上彰、ジャーナリストとしての池上彰について書いてきた。

最終回の今日は、池上彰のもう一つの顔について述べておきたい。

池上は2012年2月から東京工業大学リベラルアーツセンターで教授として学生たちに授業をしている。なぜリベラルアーツなのか。なぜメディア論でもマスコミュニケーション学科でもなく、経済学や政治学でもないのか。そこには池上のリベラルアーツ(教養)に対する強い思いが反映されている。人類とは、宇宙とは、宗教とは。そして私たちはどこから来てどこに行くのか。哲学的なテーマを追い続けている。

日々の生々しい事件事故をニュースとして扱う時の池上彰の顔とは、明らかに別の顔なので、ちょっと意外な気がするかもしれない。杉江は池上のそういった一面に「週刊こどもニュース」を作っている時に気がついていた。

「週刊こどもニュース」では視聴者のこどもたちから、ニュースに関する様々な質問を、留守番電話、ファックス、手紙で受け付けていた。インターネットが使われ始めるといち早くメールでの受付も始めた。こうしてこどもたちからの疑問や質問を溜めておいて、時々「質問バンバン」という特集を組んで片っ端から番組で答えていくスタイルをとっていた。特集が近づくと、ディレクターたちと池上が会議を開き、どの質問をピックアップするか決めるのだ。

とは言っても、もともとニュースにあまり興味関心がないこどもたちから寄せられる質問だけに、あまり「良い質問」がないのが実情だった。「なぜ衆議院と参議院があるのですか?」と言う質問が、国会の特集をした直後に来て、ディレクターたちが「だからそれは先週やったじゃないか」と呆れ返ったり、そうかと思ったら「空はなぜ青いのですか」といった質問が来て、「うちはなんでも相談室じゃない」とガッカリしたり、といった具合で、ニュースの疑問として番組で取り上げるのにふさわしい質問は、わずかであった。

ある日、そろそろ「質問バンバン」を特集しようということになって、溜まったハガキやファックスを机に積み上げ、みんなで整理を始めた。没になったお便りはどんどんゴミ箱行きである。あるディレクターが拾いだしたファックスには、汚いこどもの字で「僕はなぜ僕なのですか?」と書いてあった。みんな何とも言えずに顔を見合わせ、「とうぜん没ですよね」とゴミ箱に放り込まれた。

その時、池上はゴミ箱からそのファックス用紙を取り出した。そして「うーん、これ、なかなか良い質問だよ。答えてあげようよ」と意外なことを言ったのだ。ディレクターたちは最初は意味がわからず、口々に「え?! これですか? これニュースに関係ありませんよ」「答えようがないじゃないですか!」と反対した。だが池上の意見は変わらなかった。かくして「僕はなぜ僕なのですか?」というファックスは、採用の封筒に入れられたのだ。その日の質問選別会議は終わった。

みんな答えにくいというので杉江が直接担当した。結局、番組では「昔、我思う故に我あり、と言った人がいたんだよ。つまりそういう疑問を持つからこそ人間として生きている証拠じゃないか、という考え方だ。そんな風に深く考えることを哲学というんだよ。哲学はとっても大切な学問なんだよ。」とかなんとか説明して切り抜けた。この時杉江は強く思った。池上彰はニュースだけの人じゃない。目に見える事象だけを追っかけているのではなく、もっと遠い地平を見つめているのだと。

その時はすぐには理解できなかったが、著書「大人の教養」を読んで、池上が見つめている世界の広さを再認識したのである。やはり池上彰は教養の人だという力強い確信とともに。(完)

※連載コラム第一弾〜池上彰はいかにして池上彰になったか〜は、今回をもちましていったん終了とさせていただきます。
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