(第10回)なんとしてもわからせる

池上彰が週刊こどもニュースの中で「今週のわからん」とならんで力を入れて取り組んだのが、「ニュースサマリー」の原稿リライトだった。

あのお見合いの日以来、大人向けのニュースをこどもたちにわかるように書直す、しかも元原稿である大人向けのニュース記事の趣旨をすこしも曲げることなく書直す、そのリライト作業がいかに困難なことであるかは痛感していた。

お見合いの日にこどもたちの「わかんなーい」の一言で撃沈した苦い経験を持つ、NHKのベテラン記者OB、鈴木、岡本(ともに故人)の二人は、記者人生の威信にかけて何がなんでもこどもたちに「わかった」と言わせる原稿を書くべく、初心に帰って奮闘努力を続けていた。池上彰は大先輩のこの二人の記者と共に、11年の長きにわたって「わからせる」ということは何なのかを模索し続けた。
二人のベテラン記者たちは、やがてスタッフの間から「わからせブラザーズ」という愛称で呼ばれるようになる。

「ニュースをわかるためには、単に言葉の意味がわかるだけじゃだめなんです」。わからせブラザーズの岡本はNHKの広報ビデオ「週刊こどもニュースができるまで」の中でインタビューでそう答えている。
ニュースをわかりやすく伝えるためには、用語の意味が理解できることはもちろん必須だが、それだけでは出来事の本質を伝えることはできない。
ほんとうの意味で「わかる」ためには、原稿の中で使われている言葉の一つ一つについて、その言葉が生まれた背景、そして文脈の中でその言葉が使われている理由や状況まで理解できる必要がある。小中学生のこどもたちを相手に、そのレベルで「わからせ」を実現することは至難の技だったが、毎週の放送でこどもたちのチェックを受けて原稿を書き直す作業を積み重ねていくうちに、「ニュースサマリー」の原稿は洗練度を増していった。

池上彰はこの作業を43歳から54歳まで続けていくことによって、わかりやすく伝える技術、の方法論を自分なりに確立していった。
今の池上彰が作られた背景には、実はこどもたちから教えられたという事実が存在する。
「愚者は賢者より学び、賢者は愚者より学ぶ」という格言を池上が気に入っているのは、まさにそれを池上自身が身を持って体験しているからなのである。

そしてその陰には「わからせブラザーズ」の異名を持つ鈴木、岡本両名のベテラン記者による、文字通り命がけの貢献があったことを、僕はどうしても記しておかなければならない。この二人は死ぬまでニュース原稿を書き続け、文字通り殉職した。
(つづく)

>>(第11回)わかりやすさの本質

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