このサイトの生い立ち(2000年6月〜2010年6月)

shinsen西暦2000年ジャスト。池上彰50歳の誕生日のことだった。当時NHK週刊こどもニュースのキャスターを務めていた池上彰は、一緒に苦楽を共にしつつ、何とかしてこどもにもわかるニュースを開発する任務を負っていた担当ディレクターの杉江義浩から、akiraikegami.comドメインの使用権10年分というお誕生プレゼントが手渡されたのだ。世界に羽ばたくジャーナリスト池上彰にネットでも多いに羽ばたいて欲しいという杉江の思惑だったが、あくまで番組と著作に全勢力を傾ける池上の判断はサイトのオープンは時期尚早だった。かくして10年が矢のように過ぎ去り、来る2010年6月26日には香港返還ならぬ、なんとドメインの使用権が池上から杉江に返還してしまう事態となったのだ。さっそく杉江はオランダで取材中の池上に電話し、結果、このサイトの使い途は池上が帰国してから考えようという運びになった。同年6月21日、池上本人と杉江の相談の結果オフィシャルサイトとはしない方向が決定。池上本人はネットに露出することを極度に嫌い、またそれが池上のポリシーなのである。

来るべき機会は、来るべき時にやってくる(2010年6月〜)

まわりを見渡せばもはやネットの世界での活躍は時期尚早などと言っている時代でもなくなっていた。池上よりジャスト10年若い杉江も、長年世話になった先輩に恩返しすべくこのドメインの有効な使い途を考えていた。本人が直接編集権を駆使するか、もしくは池上の監修の元で杉江が運営するか、オフィシャルサイトのあり方について様々に検討を重ねた。そして多忙を極める池上彰が、無理なくウェブの世界にとけ込める方法として考えた一つのアイデアが、ファンクラブの設立と、クラブによるサイトの運営だった。

日本語のブログは炎上する

かつて筑紫哲也がウェブサイトを開いたことがあった。案の定いろいろな論客が議論をいどんだ。高名なジャーナリストを論破することで自分の名声が上がるかもしれないと勘違いした、単なる議論好きのディベーターたちのコメントに、ひとつひとつ丁寧に答えていった筑紫はみるみる疲弊し、画面上でかたっぱしから負けていった。あたりまえである。くだらない議論は時間とヒマをもてあました人が最終的に勝利宣言をして終わるからだ。池上には同じ轍を踏んで欲しくない、ジャーナリストのサイトのあるべき姿を考え続けた杉江が出した結論が、このウェブサイトなのだ。

ファンクラブの誕生そして発展(2010年6月〜2013年6月)

ネット上での池上彰の評判は酷いものだった

杉江はまずインターネット上での池上彰の立場を把握することから始めた。唖然とした。テレビ出演や著作の評判の良さとは裏腹に、ネット上では池上彰は徹底的に誹謗中傷されていた。Twitterでハッシュタグをつけて検索すると、悪口のオンパレード。アンチ池上彰のブログも多数存在する。中には「池上彰ファンクラブ」と名乗る、アンチ池上彰の集うサイトまであった。
恩師がそのように扱われているのを見て、杉江は義憤に駆られざるをえなかった。ネット上にだって本物の池上彰のファンは大勢いるはずだ。その人達の声を結集しようではないか。池上彰について好意的なブログを見つけると片っ端からフォローし、味方につけることから手をつけはじめた。

ファンクラブは自然発生的に誕生した

いつのまにか池上彰に好意的な立場をとる人々とつながるうちに、サークルのようなものが生まれていた。類は友を呼ぶの法則で、その人数は少しずつ増えていき、気がつくと500人を超えていた。ちゃんと組織化しようという声も高まり、そのためならボランティアを買って出たいという有志も現れた。もうそろそろ「ファンクラブ」と正式に名乗ってもいいのではないか。バラバラだった池上彰ファンが1つにまとまった。サイトを管理していた杉江は、立場上、ファンクラブの管理人になることを引き受けた。他のメンバーには任せられなかったからだ。こうして紹介制による会員制クラブが誕生した。
アンチ池上彰が集う「池上彰ファンクラブ」が賊軍なら、こっちは正規軍だ。対抗するために「公式サイト」と名付けてスタートしたのである。

サイトとサービスの整備が急務だった

ただ池上彰のファンが集うだけならファンクラブという名に相応しくない。手付かずでほうっておいたサイトはみすぼらしいものであり、ちゃんと見栄えのするものにしろという批判を受けた。また番組を見逃さないように通知するなど、ファンクラブ会員にメリットのあるサービスがあるべきだという意見も多く寄せられた。管理人である杉江とボランティアで実務を引き受けてくれたスタッフは、大急ぎでサイトの整備に取り掛かった。サイトがまがりなりにも整備された2013年の春、いよいよ大幅なファンクラブの運営方法の改定に踏み切ることにしたのである。

紹介制の廃止、そしてメルマガの開始

それまで閉鎖的だった会員の紹介が必要な入会システムを改め、希望する人なら誰でも自由に入会できる入会申し込み制にし、開かれたファンクラブにすること。メルマガを発行するなどファンクラブの会員にとってメリットのあるサービスをスタートすること。この二つが2013年4月1日からの大幅な改定の目玉だった。

池上彰本人の監修を受けつつ始まった新体制のファンクラブ公式サイト。まだまだサイトの整備も発展途上である。会員からの意見を取り入れて、サービスを充実させていくのは、これからの課題だろう。日々のリニューアルをとおして向上を続けるサイトでありたい。

ファンクラブの現在

2014年5月、ファンクラブ公式サイトがリニューアルオープン。運営スタッフ一同によるボランティアで、スマートフォンにも対応した現在の公式サイトに生まれ変わった。

2017年9月、サイトの一部リニューアルを機に新管理人に交代。着実な運営を土台にしつつ、新しいサービスの導入も企画中。