久しぶりの『池上ワールド』、今回の主役は伊藤博文です。年代が上の方にとっては、千円札の印象が強いのではないでしょうか。先月、安全保障関連法が成立し、日本の国としてのあり方が大きな議論となりましたが、現在の日本の礎である憲法や総理大臣の仕組みを作った立役者が伊藤博文です。しかし今回のキーワードは『放火・人斬り・密航・芸者遊び』、この初代内閣総理大臣、なかなかの曲者でありました。

伊藤博文は山口県光市で生を受け、16歳で松下村塾の門を叩きますが、塾生には久坂玄瑞や高杉晋作ら他に光る原石が存在したため、吉田松陰からは『才劣り、学幼きも質直にして華なし 僕、頗るこれを愛す』との評価を受けていたとのこと。18歳で尊王攘夷(天皇尊重・外国人排斥)思想に傾倒して影の任務を遂行し、1862年兄弟子高杉晋作をリーダーとする長州藩士らと品川にあった英国公使館を焼き討ちし、国学者の塙忠宝を国賊として惨殺したと言われています。

翌年、海軍視察でイギリスへ密留学。当時先進国となっていたヨーロッパ諸国はアジアへの植民地化を進めていました。その100年も前に産業革命が起こっていたイギリスで蒸気機関車が行き交う姿やガス灯などを目の当たりにし、国力の違いを痛感した伊藤は、尊王攘夷思想から脱却して日本に帰国します。

遡ること約10年前の1853年ペリーが来航し、日本はアメリカとの間で1854年日米和親条約・1858年日米修好通商条約を締結していました。
その内容は領事裁判権・関税自主権が認められないなど日本には不利で、条約改正を切望する明治政府は、日本が欧米諸国のような文明国として認められるには憲法を持つ必要があると、国際経験豊富な伊藤博文に憲法調査を託します。ヨーロッパで議会重視のイギリス型と君主に権力が集中するドイツ型があることを知った伊藤は後者を採用し、帰国後に内閣制度を導入して44歳で初代内閣総理大臣に就任します。

明治22年、大日本帝国憲法が成立。その仕組みは、欽定憲法であり、天皇主権国民は臣民とされ、議会や裁判所は天皇が掌握、軍隊や徴兵制度等がありました。これはアジア初の近代憲法であり、近代日本の国のかたちがここで誕生したとも言えます。
ここで池上さんから、大日本帝国憲法と日本国憲法は、その根っこにおいて立憲主義で共通する部分があると説明。その根拠として、伊藤博文が「ヨーロッパにおいて、文明国家には立憲主義が重要とされており、天皇主権であっても、天皇でも守らなければならない憲法が必要。天皇も憲法・法律に基づいて行動しなければならない」と議会を説得したことを取り上げていました。

また、伊藤博文は明治天皇に注意を受けたこともあるほどの芸者好きで知られており、『公務の合間に芸者を相手にすることが何より』との言葉を残しています。

初代内閣総理大臣、伊藤博文。黒船来航で欧米文化を取り入れざるを得なかった130年前に、激変する日本社会の中にありながら、今に続く『憲法を基とする国家』を創設した人。
最後に池上さんは「伊藤博文は毀誉褒貶ありますが、国際派であったが故に世界の中で日本がどうあるべきかを見通すことができた人ですね」と番組を締めていました。