最近鳴りを潜めていた戦乱が世界のあちこちで表面化するようになり、争いのニュースを見ない日は稀になりました。対岸の火事のように語っていますが、69年前までの日本はその争いの中心に位置する国でありました。
今回の「池上彰の戦争を考える」は5回目、言葉に焦点を当てるというコンセプトでしたが、取り上げられた言葉のひとつひとつが、血を流し命を落とした当時の人々の痛みを背負っているようにも思えました。

日本の終戦の日は8月15日とされていますが、沖縄の終戦は6月23日です。凄惨を極めた沖縄戦では日本人12万人アメリカ人1万人と、共に沢山の命が奪われています。その惨状を当時の大田司令官は最後の電文でこう書き残しています。
「沖縄本島に敵が攻撃を開始して以降、陸海軍は防衛戦に専念し、県民のことに関してはほとんど顧みることができなかった。にも関わらず、私が知る限り、県民は青年・壮年が全員残らず防衛召集に進んで応募した(中略)しかも若い女性は率先して軍に身を捧げ(中略)沖縄県民斯く戦えり。県民に対し、後世特別の御高配を賜らんことを」
これは現代の私達に沖縄の現状を考えさせる重みある言葉となっています。

その一方で、終戦間際の8月9日、樺太・現在のサハリンにロシア軍が攻め入り、ポツダム宣言受諾後の9月5日まで攻撃が続きました。この攻撃で軍人や男女問わず住民全部が犠牲となり、樺太はロシアに占領されることとなります。火事場泥棒のようなものですが、これを見ると終戦間際の日本国土の南と北で既に冷戦対立の構造があったことが窺えます。
また、この出来事を現代に写し見ると、クリミアの人々の現状を想像できるような気もします。クリミアでは既に教育が変更されプーチン崇拝が意図されており、住民が発する言葉には配慮の痕跡がありました。

『言論の自由が奪われる』戦争に必ず付き纏う事実です。
戦時の日本でももちろん言論統制がなされ、軍機保護法により処刑される一般人も居ました。思想・教育等全てが統制されていたのです。

さて、その統制の中で学徒兵として駆り出され、B級戦犯として非業の死を遂げた木村久夫さんのもう一通の遺書が最近発見されました。
「日本の軍人、ことに陸軍の軍人は、私達の予測していた通り やはり国を亡ぼした奴であり、すべての虚飾を取り去れば私欲そのものの他は何ものでもなかった」「軍人社会、およびその行動が、その表向きの大言壮語にかかわらず、本髄は古い中世的なものそのものに他ならなかったことは反省し 全国民に平身低頭 謝罪せねばならぬ所である」
この言葉が戦後69年を経てやっと表に出された、この言葉と共にその伏せられた時の重みが私たちに伝えてくるものは何でしょうか。

平和を求めて人は争います。その痛みの連鎖は更なる争いを招き、人間が人間では居られないようにしてしまいます。しかし、その結果犠牲を強いられ皺寄せを被るのは現場の兵士・若者や女性子供などの弱者です。
戦争においては政治の中枢は言論の自由を奪い、強制を敷く傾向がありますが、戦後は謝罪の言葉が語られることも無く、戦争へ至る経緯や背景について充分な検証がなされないまま痛みの記憶のみが語り継がれているような気がします。

世界ではそのような行為が未だ繰り返されているように思えますが、戦争の記憶が薄れるにつれ日本も同じ轍を踏まないとも限りません。
私達が先人達の痛みを無駄にしないためにできることは何なのだろう?
この番組は私達ひとりひとりにそう問いかけているような気がしました。