平成25年11月24日、ジュネーブで行われた6カ国協議にて、イランの核開発縮小を条件として、アメリカの経済制裁を一部緩和するという歴史的な合意がなされました。それに先駆けるように池上さんは10月にイランに入り、イランの反米の象徴である旧アメリカ大使館やイスラム法学者の教育施設であるイスラム教シーア派の聖地コムなどを取材しています。
今年9月、アメリカのオバマ大統領とイランのロウハニ大統領が電話会談したというニュースが話題となりました。アメリカとイランの直接会談は実に34年ぶりのことです。

イランはかつて親米路線の国でしたが1979年にホメイニ師を精神的指導者とするイラン革命が起こると、反米を掲げるようになり、イスラム教による国家体制を目指すようになりました。権力の座を奪われた元国王はアメリカへ亡命。すると、学生たちが反発し、テヘランのアメリカ大使館を襲撃して52人の大使館職員を人質に取り、444日間占拠するという大事件を起こしました。この事件はイスラム革命当事者の政権側にとっては予想外のことであり、学生らの過激な行動を認めるか否かが激しく議論されましたが、結果これを認め、アメリカとの対立・国交断絶は決定的なものとなりました。
現在ではこの旧アメリカ大使館はアメリカの諜報活動を暴露する施設となり、そのまま残されています。CIAの部屋には電話の大型盗聴装置が設置され、部屋に入るためには4段階の認証が施されており、当時のセキュリティーシステムが窺えます。極秘文書はシュレッダーに掛けられていたのですが、学生達がそれを根気よく復元し、一部展示されています。本来であれば外国の大使館襲撃は国際法違反なのですが、イランではこの施設が反米教育の教材となっています。

しかし革命以降もイランでは反米と親米で揺れ動きを見せ、核開発問題で2002年当時のハタミ大統領がウラン濃縮を停止するなど親米路線を採っていたのですが、2005年に就任したイスラム革命防衛隊出身のアハマディネジャド大統領が「ウラン濃縮はわが国の権利だ」として核開発を再開、それに伴いアメリカによる経済制裁が厳しくなりました。

現在でも原油禁輸や金融封鎖、貿易縮小など、アメリカの経済制裁は激しさを増し、国内では物が不足しイラン通貨が急落して激しいインフレを引き起こすなど、国民生活は一層厳しくなっています。これに不満を抱いたイラン国民達は親米路線を模索し、今年8月の選挙で勝利したロウハニ氏が大統領に就任すると、9月の国連総会で対話路線をアピール、アメリカ大統領と34年ぶりに会談するという運びとなったのでした。

なお、イランの最高指導者はイスラム宗教指導者のハメネイ師であり、ロウハニ大統領は行政のトップでしかありません。イスラム思想で武装するイラン国家体制には反米で利益を得る集団も存在するため、国家が親米になると困るとして反発する動きも見られますが、ハメネイ師がロウハニ大統領を支持する意向を示しており、今後経済制裁の解除の可能性もあります。イランが世界の経済とめぐり会う日もそう遠くはないのかもしれません。

イケマメ

1,中東では度々騒乱が起こり、急に逃げなければならない場合があるため、戦乱が起こった際、身ひとつで逃げられるように金細工や宝飾品をいつも身に着けているのが伝統的である。
2, 1980~90年代日本とイランはビザの免除協定を結んでおり、イランからの出稼ぎ4万人を受け入れていた。そのためかイランには親日家が多く、現在のイラン事情を反映してか「おしん」や「はだしのゲン」など、苦難を乗り越える日本の物語が特に好まれている。
3,イランは日本と同じように地震国であり、日本政府は人道支援のひとつとして地震計の設置や災害専門家を派遣して緊急道路網の整備を進めるなど地震対策技術支援を行っている。