2005年にNHKを退職した池上彰は、もっぱら書籍の執筆に取り掛かった。

書かなければならない本が、いくつも無限に池上の前には広がっていた。だが「週刊こどもニュース」での知名度とわかりやすいニュース解説力は、民放各社が出演者として依頼したい人物のトップに上がっていた。民放が放っておくわけがないのである。

立て続く民放各社からの出演依頼も断り、執筆に専念して、『池上彰の新聞勉強術』(ダイヤモンド社)そして大ベストセラーとなった『伝える力』(PHP研究所)をはじめ、年に10冊ちかいペースで著作を量産していた。次々に書籍を執筆していた池上だが、NHK退職後もテレビにまったく出ないわけではなかった。

退職からわずか4ヶ月後、8月6日放送の日本テレビ『世界一受けたい授業』で民放初出演を果たしている。あくまでイレギュラーな出演であり、ニュース解説者という立場であったが、2008年に池上の民放テレビとの付き合い方は急変する。10月からは、『学べる!!ニュースショー!』(テレビ朝日)に、ニュース解説者としてレギュラー出演し、分かり易く丁寧な語り口が幅広い世代から好評を得て、徐々に人気を集める事となる。同番組が2009年秋に終了した後は、各局で池上を解説者として迎えた同様のコンセプトの番組が次々制作された。

テレビ番組というのは、いったん出始めたら立て続けに出続けるはめになる。いわばブームで動いているからだ。池上の認識はともあれ、世間の池上を見る目は明らかに「テレビに出ているキャスターの池上さん」という認識でしっかり固まっていった。これが普通のタレントだったら、大いにキャスター業に転じて大儲けを考えていたかもしれない。だが池上は違った。たしかに週刊こどもニュースの子役たちの代わりに、大人の芸人さんを生徒役にした解説番組は、そのままこどもニュースのノウハウが通用した。大人の芸人も、子役たちも、知識のレベルは似たようなもんだったのである。

自らの仕事をジャーナリストと位置づけ、テレビに出る単なるアンカーマンとは一線を画していた。池上をタレントとして扱いたい民放各局の意向に関わらず、池上は次第に芸能界の流れに飲み込まれていく危険を感じ取っていた。ジャーナリストの本懐は記事を書くこと、すなわち取材をし、記録を残すことであり、テレビのカメラの前で流暢にしゃべることが大切なのではない。池上はこのままテレビの世界に埋没することを恐れて、2011年度よりテレビから遠ざかる宣言をした。

取材、執筆というジャーナリストの原点に戻る意志は固かった。いよいよテレビから池上がしばらく姿を消すという2011年の春、3.11が起きた。

東日本大震災という歴史的大災害は、いやがうえにも池上をニュースの最前線に送り出すだけの、圧倒的なパワーを持っていた。かくしてテレビの画面から姿を消すはずだった池上は、再びテレビカメラの前に立つことになる。池上のテレビ離れの計画は霧中に消えたのである。
(つづく)

>>(最終回)僕はなぜ僕なのか?

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