さて、これまで池上彰の「週刊こどもニュース」時代の話を中心に連載してきた。

他にも面白いエピソードは山のようにある。また池上は最初の3年間だけではなく、なんと共演者の家族を変えつつ11年の長きにわたって、週刊こどもニュースのお父さん役を務めた。それはそれで特筆すべき事である。しかし池上彰が、ごく普通のNHKの記者から、今のようなジャーナリスト池上彰に成り得た、その基本のノウハウを身につけたのは、最初の3年間にすべて集約されていると言っても過言ではない。

ハッキリ言ってその後家族を変えながら、同じパターンで週刊こどもニュースを作り続けた残りの8年間の歳月は、あたかも鯛焼き機で鯛焼きが創りだされるように、サラリーマンである池上にとっての業務でしかなかった。もちろん池上はそれを全く手を抜かず完璧にやり遂げた。共演者の3代目の家族が卒業する時、番組は8年目を終える時のことだった。杉江義浩は「池上さん、申し訳ないけど僕は一足お先に卒業させてもらいます」と池上に深々と頭を下げ、別番組に異動した。

「いいなあ、番組制作局は。報道局はそうはいかない。僕はもう2〜3年頑張ってみるよ。ここまで来たら最後までやり通すしか無い」池上は言った。池上の年齢を考えると後ろ髪を引かれる思いだったが、組織で働くということはそういうことなのだ。

結局、池上はそれから3年間さらにお父さん役を続け、ようやく決まった後任者の鎌田解説委員にお父さん役をバトンタッチした。そして同時にNHKに辞表を書き、54歳で退職した。池上のNHKでの最終的な肩書は「報道局主幹」で身分は「局次長級」。出世にはこだわらない池上ではあったが「週刊こどもニュース」での仕事を高く評価され同期のトップでの退職となった。NHK内には主流派と反主流派があったが、派閥抗争が大嫌いだった池上は、いわばどちらにも属なさい非主流派だったとでもいうべきかもしれない。

池上彰の退職記念パーティーは都内のホテルで、週刊こどもニュースの関係者を一同に集めて盛大に行われた。初代おかあさん役の柴田理恵をはじめ全ての代の母親役と子どもたち、技術スタッフも集まった。式典が終わると、僕は池上が宿泊する部屋に行ってみた。スイート・ルームのドアは開いていた。池上はいなかった。

そしてテーブルの上に、コップに半分だけ注がれたビールが置いてあった。
(つづく)

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