(第2回)「週刊こどもニュース」プロジェクトの夜明け

1993年の年末に杉江が初めて池上彰と出会ったことは書いた。

そもそも全く新しい番組を立ち上げるとはどういうことなのか。それを理解するには多少NHKの仕組みを知っておかなければならないだろう。
NHKには大きく分けて2つ、ニュースを専門に扱う報道局と、ドラマやアニメ、教育番組などを制作する番組制作局というのがある。それは単なる部署の区分けではなくて、それぞれ専門性が高い職種のため、入局するときにどちらの道を歩んでいくのか選ばされる。ニュースの専門家として記者の道を歩むのか、それとも演出の専門家として番組ディレクターの道を歩むのか。そしていったん配属されたら一生その道を極めていくことになる。
池上彰は記者として入局し、報道局に所属した。一方杉江は番組制作局のディレクターとなった。この2つの部局は全く分離していて、局内でも出会うことはめったにない。「週刊こどもニュース」は番組制作局の企画・制作としてスタートした番組である。具体的にいうと例えば杉江の場合、その1年前に「天才てれびくん」という子ども番組をたちあげて演出していたのだが、半年後の秋、上司の中村哲志プロデューサーから呼び出されて言いわたされた。もう今の番組の演出はいいから、来年から始まる「週刊こどもニュース(仮称)」の担当になってくれ、と。
「なんなんですか、それ、こどもがニュースなんか見るわけないじゃないですか」招集された番組ディレクターたちは戸惑いつつも、とりあえずこのわけのわからない企画に着手したのである。

この時点では番組について何も具体的なことは決まっていなかった。番組の仮タイトルと番組の趣旨、放送枠等がA4の紙1枚に書かれているだけである。「週刊こどもニュース」というタイトルも、そもそも番組制作局が作る番組に、「ニュース」というネーミングをしてもいいものか、と上層部で議論になったほどである。「ニュース」とは報道局記者が取材し、その一次情報をありのままに、早く、正確に視聴者に伝えるもの、と定義されていたからだ。
かように何も決まっていないところからプロジェクトが始まって、放送開始の半年前から三々五々とスタッフを集め始め、そのスタッフで番組の内容を具体的に企画・検討する。この時点ではお父さん役が誰になるかはプロジェクトのメンバーにも知らされてなかった。ただニュースと名乗る以上、報道局の記者が生出演しなくてはいけない、ということだけ決まっていた。
とりあえず「家族」をコンセプトにしようという方向で企画は練られていき、子供役を3人、そしてお母さん役をオーディションで選んだ。プロジェクトルームも整備され、あとはお父さん役として誰を報道局が送り込んでくるのかを待つばかりであった。
そして年末、待ちに待ったお父さん役としてニュースの専門家、すなわち記者である池上彰が務めることが我々プロジェクトチームに知らされたのである。
ニュースと名のつく以上、間違ったことを伝えるわけにはいかない。報道局からはキャスターの池上彰の他に、サマリーニュースのコメントを書くために定年退職したニュース記者の大ベテラン鈴木毅と岡本正明の二人、合計3人が投入され布陣を固めた。

そしていよいよ局内でもめったに出会うことのない、番組演出のチームと、ニュースの専門家のチームが、衝撃のご対面の日を迎えるのである。
(つづく)

>>(第3回)お見合いの日

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